「願掛け」に負けない。

 「〜できますように」と、願をかけて行動することがあると思います。例えば、元ヤクルトの野村監督は、確か試合に勝つと、ずっと同じパンツを履いていたそうです。

 このページでは、こういったことについて取り上げます。タイトルは「負けない」ですが、願掛けというものを完全に否定しようというのが趣旨ではありません。


1.「例えば紙くずを投げ入れたり…」

 槇原敬之さんの歌に「例えば紙くずを投げ入れたり、横断歩道を渡るときに、何か1つルールを決めて願いを掛けたりしてる…」(『雷が鳴る前に』)というのがあります。このページで取り上げるのはそういった願掛けです。

 この願掛けは、意図してやるものだけではありません。自分がやったふとしたことの結果を見て、自分の運を感じてしまうというのもありです。例えば、先ほどの歌詞でいえば、特に願を掛けた覚えは無くても、なんとなく投げた紙くずがゴミ箱を外したりなんかすると、「う…不吉…」などと感じてしまうなども、ある種の願掛けに含めてよいでしょう。

 そういった意味で、ここでは「黒猫が前を通りすぎる」等と言った「不吉な兆候」も含めて話を進めます。


2.無視できない「運」の要素

 受験勉強のすべてに神頼みという人は論外としても、受験において運の要素は大きいといえます。公務員試験は範囲が膨大ゆえに、「ヤマがあたった」とか「偶然勉強した所がでた」、「苦手でどうしても理解できなかった所がでなかった」ということが、容易に起こります。

 なので、願掛けに一生懸命になったり、不吉な兆候に敏感になることはやむを得ません。


3.不吉な兆候ごときに…

 しかし、ある程度勉強を進めた段階になって、「ゴミ箱にくずが入らなかったから、きっとよくないことがおきる」とか「黒猫が目の前を通りすぎたから、試験うまくいかないかも…」などと落ち込むことは、いただけません。

 天秤を思い浮かべてください。天秤の左の側には不吉な兆候があります。一方、右側には苦労した勉強の日々があります。自分の人生において、いったいどちらが、今後の自分に影響力があるでしょう。いったいどちらに傾くでしょうか。

 そりゃあ、当然「苦労した勉強の日々」に傾きます。懸命に努力した数ヶ月が、たった一回の不吉な兆候ごときに負けるわけがありません。負けてたまるもんですか。

 ある程度受験勉強が進み「勉強した」と思えるようになれば、たいてい不吉な兆候に負けない準備は整うと思います。負けないための要素は「自信」です。「解ける」という自信と「勉強した」という自信の関係は微妙な所ですが、惰性に流されていたり、「作業」に甘んじることなく勉強を継続していれば、「自分は怠けなかった」という自信はつくと思います。


4.それでも、やはり運は大事な訳で

 自分のこれまでの勉強を信じるにしても、それでもやはり願掛けをしたり、おまじないをしたり、神様にお願いしたりするのはありです。ただ、その用い方を間違えない方がいいと思います。

 何かしらの行動で運を強化しようとする場合は、その効果が、本番が終わるまでわからないようなものがいいと思います。試験が全部終わった後、「あぁ、おまじないが効いたな」とか「運が悪かったな」と思うようなものがいいということです。試験が終わるまでに「あぁ、だめだぁ〜」と感じてしまうようなものの場合、「運がない」と感じることが、試験を乗り越える上でマイナスに作用してしまいます。もちろんプラスに作用することもありますが。

 根っからの勝負師のような方で、運(とか流れ)を読むことに長け、運を味方につける心得がある方以外は、試験中に運について「ある」だの「ない」だのは考えない方がいいでしょう。とにかく、目の前の試験に全力を傾けることが、何よりも大事です。

 迷ったら、祈り方を考えるのではなくて、自分のこれまでの勉強を信じてみましょう。ちょっとやそこらの不吉な兆候では、これまでの勉強成果はビクともしないはずです。

 そして、不吉な兆候に負けないくらい勉強しましょう。それがなによりの「おまじない」になるはずです。


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